懺 悔 記

虎になりたくない、三十路目前女子のブログ。

恋愛中毒

見上げる空が高くなってきて、秋の訪れを感じる今日この頃。
幼少期は、遠くの入道雲を見るたび、 夏休みの終わりを予期して切なくなったものである。
空を見上げるにつけて、 あの頃の情景だったり気持ちだったりが去来するのは、 年を取ったからだろうか。


昨日、山本文緒の『恋愛中毒』なる小説を読んだ。
内気で友達がいない三十路の女(バツイチ)が、 過去の恋愛を独白していくのだが、終盤の狂気がえげつなかった。 下手なホラーより恐ろしかった。
「こんな人怖い~」じゃなくて、「 自分がこうなったらどうしよう」という怖さである。
ここ最近ようやく安定しかかっていたメンタルが、 一気に崩壊した。


主人公は惰性でさみしい毎日を送るが、 将来のことを真剣に考えていない。
自力で変革を起こせないため、 強引な人間に主導権を預けることで変わろうとする。
古巣に対する感謝がなく、周りを見ているようで自分からの視点しか世界が見えていない。
一途と言えば聞こえは良いが、 自分のすべてを男一人に預けてしまう危うさ。  

友達がいないため(特に女友達)、認識を修正する機会もない。
主導権は常に他者任せだから、 いつも被害者の立場に甘んじることができる。

極め付けは、いつまでも幼少期の母子関係に縛られている。

 

途中から、自分のことを書かれているのかと錯覚しはじめ、あわや発狂寸前である。

恋愛でこんなことになるなら、もうパートナーなんていらない!!という極端な考えにたどり着いてようやく、「いやいや、そういうとこよ。そういうとこがあかんのよ。」と、自分を宥めた。

 

さて、そんなことがあって今日は1日不安定だった。

不安定な時のとら子は、分かりやすいくらい、仕事中の機動力が落ちる。

 

電話→とらない

窓口→行かない

階段→昇らない

 

クソである。

 

そして、将来を思案する。

その思案は、「今日の夜はゴッホのハムサンドを食べよう」という結論で幕引きを迎えたため、とら子の考えられる将来は8時間後までということが分かった。

 

クソである。

 

ただひたすら、自分に絶望した1日であった。

 

さて、件のマッチングアプリOmiaiだが、細々と続けている。

そして、自衛隊員とのやりとりも続いている。

あれだけシカトし倒して、久しぶりの連絡は「やっぱり恋愛無理」という最低なものだったにも関わらず、自衛隊員は「話してて本当に楽しかった。友達でもダメですか?」と、返事をくれた。

たぶん、底抜けの馬鹿か、底抜けの良い人だ。

そして、間違いなく、女を見る目がない。

謎の罪悪感に苛まれるとら子。

 

堕落した日々だが、マーフィーのケンブリッジ英文法に毎日取り組んでいる自分を褒めて、今日は寝ることにする。