妹について
私は妹が嫌いであった。
「嫌いであった」と過去形で記したのは、2020年現在、少なくともかつての「嫌い」という状態とは異なるからである。
要するに、どっちかっていうと好きである。
妹は、私の6つ年下だ。
にもかかわらず、なんだか悟ったようなところがある。
若者らしくない妙な落ち着き。物事の本質をずばり見抜く目。
空気を読まずに正論を放ち、返答に窮した母親を発狂させること数知れず。
これでもかというほど親の地雷を踏み抜き、家庭の調和を乱してきた。
ついたあだ名は、悪意なき爆弾ーイノセント・ボムー
ハライチのターン「能力者のコーナー」に投稿しなかったことが惜しまれる。
今でこそ、毒親に立ち向かうための心強い同志であるが、かつての私にとって妹は、それはもう厄介な存在であった。
なぜかというと、非常にかわいいからであった。
時を戻そう。
とら子は、1992年、九州北部に位置する、明太子が有名な県で生まれた。
両親、叔母、祖父母、曾祖母は、それはもう喜んだそうである。
親戚の中でも久しぶりに誕生した女の子。
可愛がられないはずがなかった。
しかし、とら子は一般的に見て、決して可愛い容姿ではなかった。
「子どもだから」かわいいと言われることはあっても、純粋に容姿だけを見てかわいいと言われることはなかった。
大きな頭、パンパンに肥え太った手足。
後に叔母が「この子は将来力士になるのではないか」と心配するほどの赤子であった。
ところが妹は、かわいかった。ほんとうにかわいかった。
今写真を見ても、赤ちゃんのCMに出れるんじゃないかというくらい、かわいい容姿をしていた。
これまで私をかわいいと言っていた親戚はおろか、両親までもが分かりやすく手のひらを返した。
とら子は焦った。
生まれてこのかた、「可愛い」と言われるのは自分だけのはずだった。
それを後から生まれた妹ごときに奪われるとは。不覚。
しかもなんか、可愛がり方、わたしの時とちょっとちがくない?
そこでとら子は、6歳差という圧倒的力の差を利用して、この厄介な存在を闇に葬ろうとした。
ある時は「人体模型の太郎くん」なる創作怪談を披露して怯えさせ、またある時は風呂桶に熱い湯を張って中に魚のおもちゃを放り込み「ちょっと魚捕まえてみて」→「熱ッ!」とかいうトラップを仕掛けたりした。
後者はもうほとんど犯罪に近い。
でもいじめていたばかりではない。
やっぱり姉として、妹をかわいいと思う瞬間もあった。
問題は、あまりに日頃の素行が悪すぎるため、私のかわいがりを妹が受け入れないことである。
ふと思い立って抱っこしたときなど、血が出るほど肩を噛みつかれた。私は泣いた。そして、二度と可愛がってやるものかと決意した。今思えば理不尽な怒りである。
そんなわけで、我々姉妹の関係は平行線の一途を辿り、交わることがなかった。
姉妹の関係性は、このまま終わるかに思われたが、時の流れは偉大である。
いまや毒親に対抗する同志である。
これからも続くこの戦いに、妹のような地雷駆除機がいるのはありがたい。
両親の怒りがそっちに向いているうちに、スタコラサッサできるではないか。
今日はそんな満身創痍の斬り込み隊長(自覚なし)23歳のバースデー。
マンゴー県の辺境で旦那さんと幸せに暮らしている彼女に、皮肉を込めてスタバのカードでも送ってやろうかと思ったが、微妙な反応になるのが怖くてやめた。
夏、帰省したときに、欲しいものでも聞いてみることとする。
とら子、耳が生える
事の起こりは昨日である。
大阪に住んでいながら、私は週末ごとに京都に行く。
河原町に、沖縄出身のおっちゃんがやっている整体があるのだが、いかにもザ・職人という感じで、非常に腕が良い。
かといって黙々と施術するわけでもなく、適度に笑える話をしてくれるため、心身ともに癒されるというわけである。
大阪では新型コロナが猛威を振るっており、感染者は増加の一途をたどっている。
この機を逃すと、当分、県をまたいでの移動はできないと感じた私は、これを最後にと、誠に勝手ながら京阪電車に乗って京都へ向かったのであった。
足のゆがみや肩こり、身体の不調をこれでもかと訴えたものの、
「ここ最近で一番調子いいと思うよ。骨盤も締まってるし。」
と言われ、自分の気にしすぎだったことが判明。
しかし、調子が良いといわれ気をよくした私は、「おっしゃ、髪でも切っとくか!」と付近の美容室を即時予約したのであった。
また自粛要請がかかった場合、美容室にも行けなくなるだろうというのは言い訳で、真の目的は、勝手にアイキャンディー認定している美容室オーナーに会うためである。
「アイキャンディー」なる言葉は、直訳すると「目のアメ」だが、その意味するところは「目の保養となる人」ということだそうだ。
イギリスへの留学経験のあるシェアメイトが教えてくれた言葉で、その洒落た響きに、にわかに流行語となった。
ただし、わがシェアハウス内においてのみ、である。
さて、黒髪ロングヘアーの私は、滅多に美容室には行かない。
髪を染める必要もなく、少々髪が伸びたとて、その重みで適当にまとまってくれるからだ。
非常に経済的ではあるが、今はそれが悩みの種となっている。
アイキャンディーに会う口実ができない!!
いっそショートヘアにしてしまおうかとも思うのだが、ここまで伸ばした髪を切るのも惜しい。
悩んでいるうちに、「長さはどうしますか?」と聞かれ、「そのままで」と答えるのが、ここ5年続いているお決まりのやり取りだった。
シャンプーをした後で、アシスタントの女の子(かわいい)が髪を乾かしてくれる。
思春期の男子よろしく、かわいい女の子を前にすると委縮してしまう私は、おもむろに「青空文庫」アプリを起動し、会話を避けるという手法を取ったのであった。
こういうときもロングヘアーが憎いよね。だって乾かすのに時間かかるもん。
折しも、読書熱が高じて、「一昔前の文学に触れてみよう」キャンペーンを実施していたところ。
この選択が、ブログを始めるきっかけとなった。非常に後悔している。
そもそも、美容室で読むような本ではない。
『山月記』とは、1942年に発表された中島敦の短編小説で、唐の時代、詩人になる夢が叶わず虎と化してしまった男・李徴がかつての友人・袁惨に、その数奇な運命を語るという物語である。
高校の教科書にも掲載されており、「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」というフレーズはあまりにも有名である。
気をそらすつもりで読んだこれが、止まらなくなった。
そして、同上のフレーズに、思いっきり心をえぐられたのであった。
それは不意打ちで、致命傷であった。
続く「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨かうともせず、又、己の珠になるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった」という文を読むころにはもう放心状態で、「私の中の猛獣は何か」などと、TPOを全く無視した自問自答を始めるに至った。
いつのまにかアイキャンディーがカットに入っていてくれたのだが、こんなことを考えて恐ろしい顔をしている女に話しかけられるはずもなく、さぞやりづらかったことと思う。
絞り出すように「調べものですか?」と声をかけてくれたことで、私はようやく現実に引き戻されたのであった。
帰りの京阪電車の中でも悶々とし、夕食を摂っても悶々とし、さてメイクを落とすかと鏡に己を映したとき、驚愕した。
虎の耳が生えていたのである。
嘘である。
いつだったか妹がくれたディズニーランドのお土産、「ティガーのヘアーバンド」を着用したことによって、あたかも虎の耳が自分に生えたように見えただけのことだった。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。
ちなみに妹のヘアーバンドはグリーンモンスターだ。
宇宙人のようなあいつにはちょうど良い。
というわけで、上述した一連の出来事により、
何か行動を起こしたほうがいいのではないかと思い立ち、それなりに考えた結果、ブログの開設に至った。
日々日記をつけてはいるが、これまでの人生、あまりに自己完結が過ぎた。
かといって、いきなり諸人の前に躍り出て何かができようはずもない。
元来、引っ込み思案な性質なのである。
程よいところを模索した結果、ブログの開設というところに落ち着いた。
いつまで続くかもわからない。何を書くかも決まってない。
まもなく三十路を迎えるこじらせた女子(バツイチ)はこんなことを考えているんだなぁと思ってもらえる文が書けたらいいな。
2020.07.26
とら子記す