懺 悔 記

虎になりたくない、三十路目前女子のブログ。

吉野山と修験道

朝五時に目が覚め、「吉野山に登ろう」と思い立ち、急遽奈良へ。

はじまりはいつもこんな感じ。

どうも、とら子です。

 

ここ数か月、休日の選択肢はというと、

 

1.登山(ハイキング)

2.整体

3.読書@ロイヤルホスト

 

以上である。

色気も何もない、28歳バツイチ女の休日。

とら子にしてみれば、その中の選択肢1を選んだにすぎない休日だった。

 

さて、奈良の吉野といえば、桜の名所である。

それは同時に、桜の名所でしかないとも言え、休日にも関わらず、駅周辺は閑散としていた。

 

朝8時に吉野駅に到着するとら子サイドに問題があると言われればそれまでだが、山頂に向かうケーブルカーやバスは、動いていなかった。

必然的に、徒歩で山頂を目指す形になる。

道を歩けば、山頂につくだろうと高を括って、文明の利器(Googleマップ)に頼らなかったのが運の尽きだったと、この1時間後思い知らされることになる。

 

うだるような暑さは去り、そよ風に秋を感じる気候。

太陽もまだ低い位置にあり、川のせせらぎが心地よい。

針葉樹の隙間から見える木漏れ日が、幻想的かつ荘厳な雰囲気を醸し出していた。

 

山のふもとから、本格的な山道に入る手前に、小さな民家があった。

ふと、その家の庭から「ワン!ワン!」と、元気な声が聞こえ、一匹の柴犬がしっぽをふりながらこちらへ向かってくる。

さすがは田舎。放し飼いである。

異様に人懐っこいその柴犬は、とら子にまとわりついてきた。

犬を撫でたのは久しぶりだったが、かわいくて癒された。

 

気をよくして、山道をずんずん進むとら子。

だんだんと道が狭くなり、傾斜が急になってきていることに、違和感を覚えつつも、久しぶりに自然の中を歩いてハイになっているため、「いけるって!いけるって!」のノリで進んでいく。

 

整えられていたはずの道が、徐々に岩へと変わり、「あれ?道というより、これ枯れた川じゃね?」と気づいたころには、時すでにお寿司。

流されてきたであろう丸太が道をふさぎ、それを超えてなお進むも、この夏の間に生い茂ったであろう草に通せんぼされ、歩みを止めた。

 

経験したことがあるだろうか。

道に迷ってGoogleマップを開いた時、自分の現在地が道路上にない絶望感を。

道路から結構逸れた山の中に、現在地を示すブルーの光が点滅している。

 

よいか諸君。

道の上にいないということは、道に出る道が分からないということである。

絶望であった。

 

30秒くらい立ちすくんで、とりあえずお不動様の真言を唱えるとら子。

さっきまで、「自然ってすばらしい」などと、山ガール気分を満喫していたはずなのに、途端に恐怖が襲い掛かってきた。

 

引き返せばいいじゃない、と思ったそこのあなた。

引き返すには、歩みを進めすぎている、というパターンがあることを知っておいてほしい。

ここに至るまでに、幾多の険しい坂を上り、倒木を乗り超え、昆虫に遭遇するたび戦慄してきたのだ。それをもう一度、この疲れ切った身体で経験するだと?

冗談じゃない。

 

そしてとら子は、鬱蒼とした山道を引き返すことをあきらめ、やや開けていて明るい(ように見えた)道を選んだ。

 

最初こそ広かった道は、歩みを進めるごとに、だんだん狭くなってきて、獣道のようになってきた。

背の高い草が道の両脇に出現し始め、「あっ、また道間違えたかも」と思ったその時、目の前にシカが現れた。

 

もう一度言う。シカがあらわれた。

 

野生のシカである。

奈良公園で見るシカとは、出会いの重みが違う。

人間にとってアウェーな、自然という空間における、野生動物との遭遇。これはもはや恐怖でしかない。

しかもそのシカは、「ケーン!」と今までに聞いたことのないような声で鳴いた。

 

とら子は泣いた。

 

ここで死ぬと思った。

でも、「シカに襲われて死ぬ」ではなく、「シカを狩りに来た猟師に撃たれて死ぬ」という、やや遠回りな死因を思い浮かべた。

 

今になって思えば、驚いたのはシカのほうであったろう。

のんびり過ごしていたら、不動明王真言を唱えながら歩く人間の女が出現したのである。不気味なことこの上ない。そりゃあケーンとも鳴く。

たぶん、「なんかヤバいやつおるで!!」という意味だったに違いない。

 

その声に触発された群れが、ドドドッと大地を蹴って逃げていった。

ほんとに腰を抜かしたが、獣のにおいや、大地の躍動を体感できたのは、良い経験だったかもしれない。

 

半べそをかきながら、草をかき分け、カナブンに衝突され、トンボに煽られ、落ちたら骨折するだろう崖道を切り抜け、ようやく人工物(橋)が見えたときは、救われた心地がした。

 

その後、金峯山寺に参拝し、道中を守ってくれたのかどうなのか、よくわからないが、蔵王権現さまに、南無南無と手を合わせたのであった。

 

金峯山寺の説明書きを見るに、ここは修験道の総本山であるという。

かの役行者が、この金峰山で修業をして金剛蔵王権現を祈りだされた。

そして今もなお、金峰山は、修験道の中心的道場として、多くの修行者が入山修行をしているというのである。

 

たしかに、修業だった。

貴船・鞍馬や、伏見稲荷のやさしいハイキングとは、険しさが違った。

 

果たして、へろへろになって帰宅し、爆睡したが、なぜか翌朝は心地よい筋肉痛と、爽快感で目が覚めたのであった。

 

良い休日・・・だったような気がする。

 

先行き不透明

新入りのシェアメイトがうるさい。ばかでかい生活音で、今そいつがどこにいるのか、 Googleマップばりの正確さでわかる。
生活するのに、そんなに音を発生させる必要はないだろうに、 ドアの開閉、廊下の歩行、階段の昇降、 すべてに爆音が付随してくる。
それだけでも腹が立つというのに、窓の閉め忘れ、 共用玄関の鍵のかけ忘れ、エアコンつけっぱなしなど、 こちらの生活に害を及ぼしてくるのが気にくわない。
はるばる東北からやってきたらしいが、即刻、 お引き取り願いたい。
どこまでも心の狭いとら子であった。


さて、婚活もとい恋活をあきらめて、1週間ほど経過した。
いつものごとく、すべてがめんどくさくなった。


ついでにオーストリア留学も、調査の結果、 困難であることが分かった。
オーストリアに留学しようと思ったら、基本的に、 音楽留学か語学留学の2択である。
音楽は留学できるほどの技量と熱意がなく、語学留学しようにも、 ドイツ語がめっぽう難しい。冠詞の多さに混乱し、 早くも心が折れた。
やむなく大阪でドイツ語を学べる場を探したが、 初級コースは8月上旬からスタートしており、 機を逃した形となる。
そんなわけで、先週末の土日は、自室で蚕のように転がって、 桑の葉(もといお菓子)を食みながら、思考を放棄していた。
時折、思い出したように三島由紀夫の『金閣寺』を読み、 文学的美しさに震える以外は、何の生産性もない休日だった。
今週末も、同じ道をたどりそうな気がする。


人はいったい何が楽しくて生きているのか。 という問いが頭をよぎり、 また良くないループにはまりつつあることに気づく、 今日この頃であった。


さて、先日受けた健康診断の結果が返ってきた。
思ったより健康体だったが、やや脂質異常ということで、「 気を付けましょう」とやんわり言われた。


気は付けている。行動が変わらないだけである。


健全な精神は健全な肉体に宿るという。
しかし、とら子のごとく、そこそこ健全な肉体でも、 鬱屈した精神しか宿らない人間だっている。


どこかに落ちていないだろうか、燦然と輝く太陽のような、 前向きで頼もしい男は。

この際もう女でもいい。

1人で死ぬのだけは嫌なとら子に、出会いはあるのか。

 

乞うご期待。

恋愛中毒

見上げる空が高くなってきて、秋の訪れを感じる今日この頃。
幼少期は、遠くの入道雲を見るたび、 夏休みの終わりを予期して切なくなったものである。
空を見上げるにつけて、 あの頃の情景だったり気持ちだったりが去来するのは、 年を取ったからだろうか。


昨日、山本文緒の『恋愛中毒』なる小説を読んだ。
内気で友達がいない三十路の女(バツイチ)が、 過去の恋愛を独白していくのだが、終盤の狂気がえげつなかった。 下手なホラーより恐ろしかった。
「こんな人怖い~」じゃなくて、「 自分がこうなったらどうしよう」という怖さである。
ここ最近ようやく安定しかかっていたメンタルが、 一気に崩壊した。


主人公は惰性でさみしい毎日を送るが、 将来のことを真剣に考えていない。
自力で変革を起こせないため、 強引な人間に主導権を預けることで変わろうとする。
古巣に対する感謝がなく、周りを見ているようで自分からの視点しか世界が見えていない。
一途と言えば聞こえは良いが、 自分のすべてを男一人に預けてしまう危うさ。  

友達がいないため(特に女友達)、認識を修正する機会もない。
主導権は常に他者任せだから、 いつも被害者の立場に甘んじることができる。

極め付けは、いつまでも幼少期の母子関係に縛られている。

 

途中から、自分のことを書かれているのかと錯覚しはじめ、あわや発狂寸前である。

恋愛でこんなことになるなら、もうパートナーなんていらない!!という極端な考えにたどり着いてようやく、「いやいや、そういうとこよ。そういうとこがあかんのよ。」と、自分を宥めた。

 

さて、そんなことがあって今日は1日不安定だった。

不安定な時のとら子は、分かりやすいくらい、仕事中の機動力が落ちる。

 

電話→とらない

窓口→行かない

階段→昇らない

 

クソである。

 

そして、将来を思案する。

その思案は、「今日の夜はゴッホのハムサンドを食べよう」という結論で幕引きを迎えたため、とら子の考えられる将来は8時間後までということが分かった。

 

クソである。

 

ただひたすら、自分に絶望した1日であった。

 

さて、件のマッチングアプリOmiaiだが、細々と続けている。

そして、自衛隊員とのやりとりも続いている。

あれだけシカトし倒して、久しぶりの連絡は「やっぱり恋愛無理」という最低なものだったにも関わらず、自衛隊員は「話してて本当に楽しかった。友達でもダメですか?」と、返事をくれた。

たぶん、底抜けの馬鹿か、底抜けの良い人だ。

そして、間違いなく、女を見る目がない。

謎の罪悪感に苛まれるとら子。

 

堕落した日々だが、マーフィーのケンブリッジ英文法に毎日取り組んでいる自分を褒めて、今日は寝ることにする。

楽しいことをしようと決めた件

今週は、なんだかいろいろ気忙しかった。

そして、左肩がえらく凝っていた。

左肩が重くなる時は、霊の類が憑いていることがあるという話を聞いて、これは払ってもらわねばと決心し、伏見稲荷にのぼってきたのが木曜日の話である。

 

伏見稲荷は、ずらりと並んだ千本鳥居が有名だ。

観光客は皆、千本鳥居で写真を撮るか、せいぜいその先にある奥の院まで行ってから引き返すが、とら子は登った。

気温35℃、日差しが照り付ける中、山を登った。

朝起きて、飲まず食わずで登った。何の修行だ。

熱中症の危険があるので、よい子はマネしないように。

 

途中、70歳くらいのお爺さんに追い抜かされ、非常に恥ずかしい思いをした。

山頂の売店のご主人のようだ。段ボールを抱えて、悠々と登っておられた。

とら子は、日頃の運動不足を呪った。 

 

山に登ると、気持ちが晴れる。

左肩の重さはとれたような気がするので、おそらく霊は飛んでったと思われる。

 

 

さて、例によって、マッチングアプリOmiaiに取り組んでいるとら子だが、やっぱり性に合わぬことが分かってきた。

一通りやりとりをしたら、ライン交換→会いませんかの流れとなるのだが、ここで拒絶反応が出る。

 

マッチングアプリなのだから、こうなるのは至極当然の流れである。

しかし、とら子は二の足を踏む。

なぜかというと、この二者関係において共通しているのは、「出会いを求めている」という点に尽きるからである。

交わす会話が浅くなることは、目に見えている。

コミュニケーション能力の高い人々は、そこから話を展開させて、なんかうまいこといくのだろうが、こちとらコミュ障である。馬鹿にしないでいただきたい。

浅い会話は何より苦手なのである。

さらに、一度でも会ってしまえば謎の情がわき、断りづらくなるではないか。

 

最近やりとりが続いたのは、同い年の自衛隊員であった。

間違いなくいい人だ。

わが妹が「私のいい人センサーが反応した」というほどだから間違いない。

しかし、やっぱり好みではなかった。

電話をしてみて話はそこそこ弾んだが、女子と付き合ったことがないという事実を打ち明けられ、途端に荷が重くなる。また、アニメ鑑賞が趣味、読んでいる本がラノベという点で、なんだか受け入れられなくなってしまった。

もう一度言うが、ほんとにいい人なのである。

問題はとら子サイドにある。心が限りなく狭いのである。

結局、電話したがる彼に「疲れているから」と大ウソをついて、完全に連絡を無視している。

 

好みの相手なら、持ち点100からの加点方式で計算するのに、好みじゃない相手には、持ち点50からの減点方式で計算している自分に気づく。

我ながら、こんな女は罰が当たってしかるべきと思う。

 

結局、いまやり取りが続いているのは、京都の寺の住職(37)と、ヤンキーみたいな弁護士(30)だ。

どっちも多分、そこまで出会いに本気じゃなくて、一日1~2通のメッセージを寄越してくれる。やる気がなくなったとら子のペースには、丁度良かった。

 

ところで金曜日、前回のブログに登場したけんちゃんのお姉さまに会ってきた。

お姉さまは、小柄で細身の綺麗な人だった。

 

このまま孤独に死ぬなんて嫌すぎるという不安を相談したところ、「フリーだからって一人になることはない。結婚したって、孤独に死ぬ人はいる」というお言葉をいただき、確かに!と思う単純なとら子。

また、「楽しいことをやってたら、そこに同じような人が集まるから、同じ志の人と出会えるよ。」「アプリが楽しいんだったら、それを楽しんだらいいと思う。向いてないんだったら、無理しなくていいんじゃない?」と言われ、何かを悟るとら子。

 

楽しいことしていいのか。

 

その後なんやかんや話をして、お店を出て、駅まで送ってもらい、ハグしてお別れした。

途中から、お姉さまが日本人ということを忘れていた。日本のスケールに収まりきらないビッグな人だった。

 

というわけで、自分の楽しいことをやろうと決めたとら子。

とりあえず、読書だ。英語だ。

オーストリアに行くために、ドイツ語だ。

国際電話と新しい出会い

繰り返し言うが、暑い。

日差しに殺意を感じる。

朝、ちょっと散歩に出たら、蒸し殺されそうになった。

蒸し野菜の気持ちが、ちょっとわかった。

 

さて、昨晩、ブログを書いた勢いに任せ、チェコ在住の友人にLINEで泣きついた。

いきなり「オーストリアに移住したい」という、わけのわからないメッセージを送ったが、とら子の上を行くわけのわからない彼は、LINE電話をかけてきてくれた。

開口一番、挨拶が「ナマステー」である。

これだけでも変人確定だが、久しぶりに食べた味噌汁が美味しいという報告とともに、もうほとんど食べ終わっている椀を見せつけてくる。

余計な情報が多すぎるのであった。

 

彼の名は健太郎(仮名)。

とら子がまだ可愛い大学生だったころ、スーパー銭湯で働いていたのだが、同じ日に入職したバイト仲間だ。健太郎、もといけんちゃんは、けっこう変わっている。

というか、とら子の周りには基本的に自由気ままな人たちが集まる傾向があり、彼もその中の一人であった。当然のように、めっちゃ仲良くなった。

けんちゃんは、今、チェコに住んでいる。チェコのオーケストラに所属して、トランペットを演奏している。大出世である。

 

とら子は、けんちゃんに訴えた。

ここ最近、緑を求めて関西近郊の田舎を巡ったが、しっくりこない。

雑然とした街並み、視界を邪魔する電線、狭くて遠い空。

添加物の多い食品、旧態依然とした社会規範。

口に出して言われることはないけれど、周囲から求められる役割。

なにもかも嫌になってしまった、と。

しかし、そう訴えながら、とら子の中に罪悪感があったのも事実である。

この日本社会に、ここまで育ててもらった事実もあるし、自分の努力不足、現実逃避なのでないかという気もする。

でもけんちゃんは、「とらちゃんがそう思うならそうなんだよ」と、否定せずに聞いてくれたのであった。

そしてとら子の自虐癖を指摘し、「自分はダメだっていう、その思考に死んでもらおう」という斬新な発案をする。

子どもみたいに純粋に、やりたいことに、うわー!って目を輝かせて没頭できる境地に行けば、オーケストラのオーディションは受かりまくるんだそうだ。

でも、日本でその境地に行くのって、周りの目もあるし難しいよね、と。

そうして、窓の外に広がるチェコの自然を見せてくれる。

 

希望は目標に変わりつつあった。まじでオーストリア行きたい。

 

チェコの自然(時折、雑然とした室内の様子も映った)に加え、けんちゃんはもうひとつギフトをくれた。

「世間話をするだけでも良いことあるから!」という漠然とした理由を以て、お姉さまを紹介してくれたのだった。

けんちゃんのお姉さまは、超絶美人だった。

LINEのプロフ画を見て、卒倒するかとおもった。

え、なに。こんなきれいなお姉さまいたの、あなた。

 

お姉さまは、とてもフランクだった。

どこの誰とも知れない小娘と、次週、会うことを約束してくれたのだった。

 

出会いは、変化のきっかけになる。

お姉さまとのお話の中で何かひらめきがあるとよいなと思う。

 

そういえば昨日、『乱読のセレンディピティ』という本を読んだ。

セレンディピティというのは、思いがけないことを発見する能力のことだ。

Wikipediaには、”素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること”と書かれている。

本書に、以下のような記述があった。

どうも、人間は、少しあまのじゃくに出来ているらしい。一生懸命ですることより、軽い気持ちですることの方が、うまく行くことがある。なによりおもしろい。

このおもしろさというのが、化学的反応である。真剣に立ち向かっていくのが、物理的であるのと対照的であるといってよい。

化学的なことは、失敗が多い。しかし、その失敗の中に新しいことがひそんでいることがあって、それがセレンディピティにつながることがある。昔から、ケガの功名、というが、セレンディピティとは失敗、間違いの功名である。

『乱読のセレンディピティ外山滋比古著(扶桑社文庫)p98-99

いままで、真面目が過ぎたようである。

おもしろさで動いてみるのも、アリかもしれない。

そう思えた国際電話だった。

マッチングアプリふたたび

暇である。

本も読み飽きた。この5日間で、5冊読破した。

それぞれ異なるジャンルのものを読んだが、それでも読み続けるというのは飽きる。

頭の中が、肥満である。

身体も肥満なのに、これはいけない。

軽く散歩しようと思い立ち、玄関を開けた瞬間、照り付ける日差しを受けて、とら子は静かに扉を閉じた。

この日差しの中歩くのは、危険だ。自殺行為だ。

昨日おばあちゃんが言っていた。

「とら子ちゃん、熱中症には気をつけなさい」と。

とら子は、おばあちゃんの言いつけはしっかり守るよい子なのである。

 

やることがなくなった。

床に寝ころび、天井を見上げ、ふと「もっかいマッチングアプリやってみよ」と思い立つ。

先日、シェアハウスのリビングで、宇田さんと小桑さんに言われたことを思い出したのだ。

 

現在、コロナ禍によって、リアルな出会いの場に足をはこびづらい状況にある。

アプリには変わった人が多いが、まともな人が、上述の理由によって、アプリに流れてきている可能性がある。

まして、とら子の年代ならなおさらアプリ利用へのハードルは低いはずだから、その可能性は高くなる。

よって、とら子は積極的にアプリを活用すべきである。がんばれ。

 

なるほど隙のない理論である。さすが、とら子が尊敬するお二人だ。

この理論を聞いたのは、僧侶との一件があった直後のことだったため、その当時はそれほど感銘をうけなかったが、じわじわきた。今、きた。

 

「pairs」「with」を制覇した(挫折したともいう)とら子が次に目をつけたのは、「Omiai」というアプリだ。

aiの下にこれ見よがしにアンダーラインが引いてあるのが小賢しい。

どうでもよいが、なぜマッチングアプリは英語表記なのだろうか。

 

早速登録をしたが、まぁその他のアプリと大差はない。

生年月日を入力し、居住地や職業など、指定された項目を埋めていく。

あとは写真を登録して、プロフィールの自由記述だ。

 

4年ほど前の、痩せていた時の写真を使うズルいとら子である。

これでマッチングしたとしても、会うことはないだろう。

 

2時間ばかり、いいねを処理したり、「おすすめ」に出てくる人を眺めたりして過ごしたが、日が暮れた窓の外をみて、謎の寂寥感が込み上げてきた。

いったい私は何をしているのでせうか。

 

前回の反省を生かし、自分から「いいね」を送ろうと思ったが、できなかった。

顔写真とわずかなプロフィール。これで相手の何を推し量れるというのだろう。

仮に自分から送ったいいねでマッチングして、違和感を覚えたとき、自分はその責任がとれるのか。いいねとは、「付き合ってもいい」なのか、「結婚してもいい」なのか。

そもそもなにが「いいね」なのか。

このように逡巡しているうちに、日が暮れた。無駄な一日と相成った。

 

そうしてふと考える。自分の理想の相手とは何だろうかと。

6畳の自室をぐるぐる歩き回り、出した結論は「パン職人のオーストリア男子」だった。笑いたければ笑うが良い。

 

昨年の今頃は、オーストリアに居た。

ウィーンの街並み、ザルツブルクの自然、人々のやさしさとおおらかさに、心を救われたのを思い出す。

そして浅はかにも、「オーストリア移住したい」と思ったのだった。

願わくばウィーン郊外の田舎に居を構えて、パンを焼き、紅茶を味わい、猫を飼い、花の世話して、死にたい。骨は実家の納骨堂にお願いしたいけど。

 

狙いが定まった。オーストリア男子である。

Omiaiの国籍検索機能を活用し、オーストリア人を調べたが、誰一人ヒットしなかった。

きっとこのアプリも、来週くらいには退会しているだろう。

こじらせ三十路にまっしぐらの予感。誰か私を止めてくれませんか。

超少食ファスティングなるもの

滋賀県を流れる安曇川のほとりに、「藤樹の宿」なる古民家がある。

もともとは呉服屋であった家屋を、愛知県から移住してきた老夫婦が買い取り、民泊仕様に改装。断食指導歴25年の大ベテランのご主人が、ここで断食道場を開いている。

ひょんなことからこの道場を知ったとら子は、例のごとく思い付きで、3泊4日の宿泊体験を予約した。

 

さて、断食といっても、ここでは完全に食事を断つような指導はしない。

それは、ご主人の断食指導経験にもとづく方針であった。

 

もともと愛知県で断食道場を営んでいたご主人は、水と塩のみによる断食で、体験者の体調不良が続出したことに疑念を覚えたという。

水と塩でダメならばと、ご主人がとった次なる策は、酵素ジュースを飲みながらのファスティングであった。

しかしながら、酵素ジュースは、その製造過程において白砂糖を大量に使うため、ご主人いわく「白砂糖中毒になってしまった」とのこと。アンパンなどの甘い食べ物が、欲しくて欲しくてたまらなくなり、結果かなり太ってしまったという。

断食道場なのに指導者が太っているとは何事かというクレームが相次ぎ、あえなく失敗となった。

このような艱難辛苦をのりこえ、ご主人がついに見出したのが、「超少食ファスティング」である。

 

朝食は、植物性ヨーグルトとスムージー

昼食・夕食には玄米40g、汁物60g、おかず(3種程度)60gを提供する。

食事の時間は、朝8時、昼12時、夜17時と決まっている。

断食感は、まるでない。けっこうしっかり食べられるのである。

 

はたして、とら子の3泊4日のファスティングもどき生活が幕を開けた。

 

1日目。JR安曇川駅からコミュニティバスに乗り、藤樹の宿に到着。日に焼けた小柄なおじいちゃん、もといご主人が、迎えてくれた。

簡単なオリエンテーションを済ませ、部屋に案内される。6畳ほどの和室であった。

室内には、テーブルと座椅子、物干しとハンガー4つ、空気清浄機、布団があった。

夕食まで、部屋でゴロゴロしながら時間をつぶす。

 

17時になった瞬間、ターン!という軽快な音を立てて、ふすまが開かれた。

「!!!!!」

完全に油断していた。畳を海に見立て、トドのように寝ころんでいたとら子は、飛び起きた。

 

「夜ごはんです」

驚愕のとら子をよそに、輪島塗の立派な御膳をテーブルに置くご主人。

淡々と料理の説明をしてくれるが、動転のあまり、内容は頭に半分も入ってこなかった。

てゆーかこの部屋、鍵ないやんけ。

 

夕食は、玄米と味噌汁、納豆にプチトマト、小松菜の和え物、瓜の漬物、にんじんのラぺであった。

1口につき、48回噛むようにとの指導を受け、もそもそ食べるとら子。

普段自分がいかに食べ物を噛まず、飲み込んでいるかを思い知ることとなった。

ちなみに料理は、死ぬほどおいしかった。良い素材を使っているのがよくわかった。

 

18時からは、ファスティング講習である。

2階にある、談話室のようなところへ移動すると、ご主人が出版した本をいただいた。これがテキストとなるようである。

「はい、3ページひらいて!」

かくして講習が始まるわけだが、「断食をはじめたのはモーセである」という導入に、早くもとら子の偏桃体が反応する。

その後は、サーチュイン遺伝子・オートファジーなどそれっぽい単語が出てきたり、唐突な安倍首相への批判が行われたのち、「日本人がユダヤ人に勝てないのは断食をしないから」というやや飛躍した理論が出てきたりして、30分の講座が終了した。

ひらいた3ページには、一度も触れられなかった。

講座終了後は、入浴して就寝である。20時に爆睡したのは久しぶりであった。

 

翌朝は、6時に起床し、安曇川を下って琵琶湖畔まで散歩した。

湖に足をつけてみると、水が澄んでいて気持ちよかった。しばらくそこで読書をしていた。

帰宿すると、朝食である。

すきっ腹に、スムージーが染みわたる。豆乳でできたヨーグルトには、甘酒がかかっており、クコの実とミントが添えてあった。ミントは自家製のものだという。良い香り。

朝食を終え、ボケーっとしていると、再びふすまがターン!と開かれる。

「!!!!!」

「食べ終わりましたか?」

食後はすぐに皿を炊事場にもっていくのが、ここの暗黙の掟と理解した。

 

湖畔だろうが川のほとりだろうが、暑いものは暑い。

とても出歩ける状態ではなかったため、ひたすら本を読んで、うたたねして過ごす。

そして、ファスティング講座を受ける。

以降、そんな毎日であった。ただひたすら、ご飯がおいしかった。

最終日に近づくにつれ、部屋のふすまを開けられることへの抵抗もなくなった。

 

講座の最初こそ、「宗教系か?勧誘されてしまうのか?」と、警戒MAXのとら子だったが、ちゃんと耳を傾けると、ご主人はとにかく一生懸命な人だった。

しゃべりながらヒートアップしてしまい、言葉不足になってしまうことや、少し固い表情が誤解を与えやすいだけで、信じた道を突き進む人だった。

 

ご主人は、HPやブログでの情報発信、また、ZOOMを利用した遠隔ファスティング指導など、様々な工夫を凝らして顧客をつかんでいる。なんと、宅配で食事を届けてくれるサービスもあるという。

時代の変化にのまれず、新しいツールをどんどん取り込んでゆく、ご主人のバイタリティに何より感銘を受けた。

掃除や畑仕事などに忙しい働き者なご主人と、陰ながら支える奥さま。奥さまにお会いすることはかなわなかったが、素敵なご夫婦だなぁとしみじみ感じたとら子だった。

 

あっという間の3泊4日を終え、帰宅。

体重は1kgしか減っていなかった。

 

懲りもせず、ロイヤルホストのメニューを眺めては、次に食べるご飯を考えている。

何なら、帰りのバスの時点でマクドナルドに直行することを考えた。

いったい何を学んできたというのか。

今日も、食べながら悩むとら子であった。