つのパンと三日坊主
早くも書くことがない。
三日坊主にすらなれないまま飽きるとは思わなかった。
一昨日、実はひそかに「毎日更新!」という目標を掲げていたが、なぜあえて明言しなかったかというと、こうなることが分かっていたからである。
自分で掲げた目標を守れなかったとき、私の中ではたいてい以下の反応が起こる。
まずは、目標を守れなかった己を嫌悪する。次に、過去のありとあらゆる悪行や恥ずかしい出来事を思い出して塞ぎ込む。そして未来に絶望し、訳の分からないスピリチュアル理論に逃げてひとしきり現実逃避したのち、最後は反出生主義にたどり着く。
表面上何も変わっていないのに気力だけを浪費するという、まるで生産性のない思考回路だ。この方法で何かが解決した例がない。
でも今日はこうはならない。なぜなら目標を立てていないからである。
・・・さて。
こうやって何かを書いていれば、話のネタでもひらめくかと思ったが、何も浮かんでこない。
だいたい、世のブロガーは、毎日飽きもせず何を書いているのか。
日常の些細なことをいかに面白く書くかが問われているのかもしれない。
今日の一日を振り返ってみよう。
朝
パン屋に行くもお目当てのパンが売り切れで落ち込む
昼
仕方なく買ったカレーパンが予想外に美味しくて得した気分になる
夜
明日の朝こそお目当てのパンを買おうと意気込んでいる
売り切れは困るので、何なら早起きしようと考えている
こういう一日を、「無駄な一日」という。
なんでこんなにパンのことばかり考えているのか。
確かに今日はパンのことを考える時間が多かったなぁと思ったが、パンのことしか考えていなかった。
なぜか。
近所に「ゴッホ」というパン屋がある。
店内に備え付けてある立派な石窯でパンを焼いているのだが、ここのパンのまぁ美味しいこと。
正直、総菜系のパンははずれが多い。菓子パンも、そんなにである。
しかし、主食のパンとなると話は違ってくる。
「つのパン」を知っているだろうか。
「つのパン」は、ゴッホの名物中の名物である。
その名の通り、角(つの)のような形をしている。
角のような形が分からない?
じゃあ、クレセントロールの形状を想像してほしい。あんな感じだ。
クレセントロールを知らない人は、クレセントという英単語から想像してほしい。
クレセントすら分からない人は、自分の無知を恥じながら英和辞典を引きなさい。
さて、「つのパン」である。
こんがりと焼かれ、乾いた表面に小麦がかすかに残る「つのパン」。
それは固く、トングで強く挟んでも、容易に形を変えない。
万が一、トングでの争奪戦が発生した場合にも耐えうるよう設計されている。
しかし、その硬派な見た目とは裏腹に、中身は柔らかなのである。
ただ柔らかなだけではない。
幾重にも巻かれた、もっちり濃厚な生地が、詰まっているのである。
その弾力といったら、まるで小麦界の餅である。
想像してほしい。
「つのパン」をかじったとき、鼻孔にふわりと広がる、温かい小麦の香りを。
パリッとした表皮を崩した後にたどり着く、もちもちの生地・・・
幾重にも巻かれた真っ白な生地は、餅のように伸びながら、くるくるとほどけてゆく。
そして、いざ「つのパン」をしっかり噛みしめると、表皮についた岩塩が、生地の甘みを引き立てる。柔らかで弾力のある生地と、薄くパリッとした皮が口の中で一体化するころには、あなたはもう「つのパン」の虜である。
そう、この「つのパン」こそが、今朝買おうとしていたお目当てのパンであり、一日を費やして思い続け、明日リベンジを果たそうとしているパンなのである。
「つのパン」に愛情を持っていると思っていたが、書いているうちにこれは執念と呼ぶほうがふさわしいような気がしてきた。
ゴッホを訪れた際は、「つのパン」を是非。