懺 悔 記

虎になりたくない、三十路目前女子のブログ。

女三人高野山

「ドライブ行かへん?」 というシェアメイトの誘いに二つ返事で乗っかり、 唐突に高野山に赴いた昨日。

 
メンバーは、和歌山出身だが喋りは純大阪人の小桑さん(仮名)、 鹿児島出身で動物大好き宇田さん(仮名)、バツイチとら子( 仮名)である。

 

朝、ゴッホでパンを買い、 駅前でレンタカーを借りていざ高野山へ!

つのパンが売り切れで、 とら子のテンションが地味に下がったことはひみつである。


高野山の気温は26度。 晴れとも曇りとも言い難い中途半端な天候。 車内の微妙なワクワク感。何もかもちょうど良かった。


完全ノープランであったため、高野山に到着後、 とりあえずメインの金剛峯寺に行くことに。
そしてなぜか、拝観もしないうちに、 自然な流れで現地解散となる。
帰宅後、シェアハウスのお姉さま的存在、 志村さんに上記行動を報告すると、「 仲がいいんだか悪いんだかわからない」 というご指摘をいただいた。
しかし我々は、何の疑いもなく「じゃ」と三者三様に、 全く別の道を行ったのである。
集団行動ができないわけではないが、このマイペース加減が、 結婚に恵まれない遠因なのかもしれない。


昼食も別々にとる勢いだったが、さすがにそこまではということで、 昼過ぎに金剛峯寺に集合。

集合場所一番乗りの小桑さんは、 あろうことかベンチ1台を陣取って、 あおむけに寝そべりながら雑誌を読んでいた。
宇田さんもとら子も、すぐに「うわぁ小桑さんだ」 と認識したため、集合に迷うことはなかった。
以前、小桑さんは「私、どこにいても何故かよく見つかるんよ!」 と言っていたが、それもそうだろう。
行動がやや異質で、基本的に、 景色に溶け込むことがない人なのであった。


さて、リーズナブルに精進料理を味わえると評判の店に並び、 昼食にありつく。
待ち時間が長いため、メニューに迷う3人。「これにする」 と宣言した次の瞬間に「これもいいな」と移り気する、 メニュー選択時あるあるを披露した以外に特筆するほどのこともなかったため、省略する。
精進料理はそこそこおいしかったが、感想は宇田さんの「 どのおかずがメインかわからないね」というコメントに集約される。 察していただきたい。


腹が膨れたら、散歩である。というわけで、奥の院へ向かった。
高野山を訪れたことがある人はお分かりだろうが、 奥の院へ向かう道は、お墓だらけである。
満腹で墓地を歩くという、 今まで経験したことのない散歩をした。
途中、「しろありよ やすらかにねむれ」という 社団法人日本しろあり対策協会による斬新な慰霊碑にとら子がツボり、小桑さんが「これからも駆除するのに?」 と素朴な疑問をぶつけるという一幕がありながら、 ようやく奥の院へ到着。
山を背にした御廟。ここで空海――弘法大師は、 今も瞑想を続けているのである。
・・・そんなことはないと分かってはいるが、聖地独特の空気、 人々の信仰心を肌に感じ、我々は神妙に手を合わせたのであった。


帰り道、川を眺めていると、小さな魚たちが流れに逆らって、 自分の体の5倍はある落水を登ろうとしていた。
人間にとってそれは、川の段差により生じた小さな落水だが、 彼らにとっては大きな滝。流れは強く、何度も押し戻されている。 それでも、必死に登ろうと挑戦しているのである。
「がんばれ!」と応援する我々。しかし、 魚たちは落水を超えることができない。
「あぁ、この滝の上には穏やかな流れの川があるのに・・・」 小桑さんがつぶやく。
その一言で、目の前の小魚と、 もがき続けているのに一向にオアシスにたどり着けない自分たちとが完全に重なり、無言で帰路についた。
人間が自然から学ぶことは多い。


かくして、ドライブ小旅行に味をしめた我々は、 カーシェアリングサービスなるものに興味を示し始めた。
「夜景とか見に行こうよ!」「いいですねぇ!」など、 夢は尽きない。
普通なら彼氏とすることであるが、どうか今は、 そのことを指摘しないでいただきたい。


平穏な日常がはやく戻ることを祈るばかりである。

南無大師遍照金剛。